今回の研究報告は主に「Art Impact Design の 学術的位置付け」を研究のうえ、関心のある皆様にとって有益な情報となるよう、学術研究や根拠を集約整理した見解を記述いたしました。
また、より詳細な内容はnoteにて公開しております。ご興味がありましたら参考にしていただけますと幸いです。
なぜ、Art Impact Designなのか
芸術は、人の心や社会を変えるのか。この問いに対し、私たちはしばしば二つの極端な答えを選んできた。一方では「芸術は役に立つから価値がある」と言い、健康、教育、地域活性化、経済効果などの成果を列挙する。他方では「芸術は役に立つ必要がない」と言い、作品の自律性や美的経験の固有性を守ろうとする。しかし、実際の芸術経験はこの二分法よりはるかに複雑だ。作品を見る、つくる、語る、誰かと参加する。その過程では、感情の揺れ、認知的不一致、自己省察、共同注意、対話、関係形成が連鎖し、のちに自己理解、ウェルビーイング、行動意図、社会的包摂へ波及することがある。
本稿が扱うArt Impact Design(以下、AID)は、この連鎖を偶然の「効能」として語るのではなく、どのような芸術経験を、誰に対し、どの媒介条件のもとで設計すれば、どのような変化が生じうるのかを、企画段階から説明・検証可能にしようとする構想である。
1 証拠は増えた。しかし、統合する設計図がない
芸術と健康の研究は、もはや小規模な逸話の集積ではない。WHOのスコーピングレビューは、2000年から2019年までを対象に、200超のレビューと700超の個別研究を含む、総計3,000超の研究を整理した。芸術活動が健康の予防・増進、疾病の管理や治療に関わりうることを示す、大規模な証拠地図である。ただし、この厚みはそのまま結論の単純さを意味しない。対象者、芸術形式、実施環境、評価尺度、研究デザインが多様で、何が誰にどう作用したのかを横断比較することは難しい。
英公衆衛生当局の評価フレームワークも、arts for health and wellbeingには単一の確立した評価枠組みがないとする。文化芸術は、作品だけで完結する薬剤のような介入ではない。作品選定、参加の仕方、ファシリテーター、場所、時間、他者との関係、本人の文化的背景が作用する「複合介入」である。したがって、効果測定だけでなく、文脈とプロセスを記述しなければならない。
日本でも文化芸術活動とウェルビーイングの関係が政策的に検討され、特に人生の意味や成長、目的意識に関わるユーダイモニック・ウェルビーイングとの関連が示されている。ただし、元調査が参照した文化庁調査は因果関係を特定できないと留保する。芸術に参加したから幸福になったのか、もともと余裕や関心のある人が芸術に参加したのかは、横断的な関連だけでは分からない。この慎重さはAIDに不可欠である。
2 八つの研究領域は、AIDに何を渡せるか
2.1 文化価値論――内在的価値と道具的価値を切断しない
芸術の社会的影響評価は、参加型芸術が個人や地域にもたらす変化を可視化してきた一方、「助成の正当化に都合のよい成果だけを数えていないか」という批判も受けてきた。CrossickとKaszynskaは、文化の価値を内在的価値か道具的価値かという二者択一に還元せず、個人の経験から社会的便益まで連なる多元的な方法で捉える必要を論じた。
AIDはこの立場を理論的な足場とする。美的経験は、社会的成果を生むためだけの手段ではない。しかし、その固有性を尊重することは、経験後の変化を問わないこととも違う。作品との出会いそのものと、その出会いが関係性や行動にもたらす波及を、切断せずに扱う必要がある。
2.2 ウェルビーイング研究――「気分がよい」を越えて意味を測る
ウェルビーイング研究は、WEMWBSなどの尺度を用い、芸術参加前後の心理変化や集団差を比較できる強みを持つ。ミュージアムや創造活動に即した尺度も開発され、鑑賞直後の変化を捉えやすくなった。一方、汎用尺度だけでは、作品固有の経験や、なぜ変化したのかが抜け落ちやすい。
AIDでは、快・満足に近いヘドニックな指標だけでなく、意味、生きがい、成長、関係性を含むユーダイモニックな指標を重視する余地がある。ただし、尺度得点の上昇を作品の「成功」と直結させない。インタビューや日誌を併用し、その変化が本人にとって何を意味したかを確かめる必要がある。